凜と生きる

私が経験した「鬱」というものについて

書けないわけ

ここのところ随分と更新できてない

かなり書きたいことは書いたと言うのもあるが

一番の理由は今のわたしの体調だ

鬱々はしてなくて精神的には大丈夫なのだけど

(不安感は消えないが)

何しろ体が怠くて気力がない

 

書きたいなーと頭では思っても

実際は書けないのだ

この倦怠感は主治医には

「鬱の身体的症状」だと言われているが

こんなに長く?というほど続いている

もう寛解近いと言われてから随分経ってしまい

この倦怠感、気力のなさ、体力のなさには

本当に困っている

やりたいことは山ほどあるのに

全然手につかないのだ

それが焦りとストレスになっている

 

頭で文章を考えて書くという

本来好きな作業すらうまくいかない

今日は久しぶりに少し書けているだけだ

この先いつまでこの不調が続くかわからない

今は不安感も大きくなりやすいし、

健康な人でも滅入ってしまうことも多いだろう

 

このブログを終えたつもりはない

また少しずつでも書けるようになるといいな

と思っている

理解を求めない

鬱になった時も再発して双極性障害II型に

なった時も、そして寛解が近い今でも

迷っていることがある。

 

それは友達、知人にどこまで病気のことを

話すか、ということ。

あまり付き合いの深くない知人には特に

何も話さない。

割と関わりのある知人には時と場合によって

自律神経失調症」と言う。

 

友達には「鬱みたいな感じ〜」とややぼかしながら「鬱」というワードは出してみる。

 

まぁこの辺りまではだいたい決まっていて

そんなに迷いもない。

 

どうするかなぁと迷うのは仲の良い友達。

言わなかったら色々話してるうちに

噛み合わない部分とか説明がつかないこととかが出てきてしまう。

なんとなく濁して「鬱みたいな」と言うには

距離が近すぎる。

でも。

詳しく双極性障害II型について説明した方がいいのか?

友達はそれを本当に知りたいのかな?

変に説明したら余計重く感じたり、怖く感じたりしないだろうか?

自分にレッテルを貼ることにならないか?

気を使わせてしまわないだろうか?

 

友達と会う時は楽しく過ごしたいのに、

病気の話なんてしていいのか、そのタイミングも難しい…。

 

他の病気ならもっと話しやすいような気がする。

鬱病までならまだ認知されてるからマシかな。

双極性障害II型という謎の病気。

説明が難しい。

 

家族ですらちゃんと理解してるかというと

そこは確信がない。

わからないことも多分いろいろあると思う。

 

説明したらきっとわたしは友達に

「わかって欲しい」という欲求を持ってしまう。

それがややこしいことになりそうなのだ。

わかってもらうことなど無理なのに

理解ないことをもし言われたら、そのことに対して悲しんだり時には怒りを感じてしまう。

そんな自分が嫌になる。

 

「話はするけどわかってもらおうという期待は一切持たない」

 

そう自分で割り切れるまでは話さないほうがいいかもしれない。

病名までは話すけど、詳しいことは言わずに

なんとなく知っておいてもらう、くらいで。

 

そんなこと思ってるうちに寛解したらいいのにね。

暗闇

小さい頃から一人部屋で寝ていたと書いたが

そのことで忘れられないことがある

 

あれは小学校4年生頃のこと

いつものように一人で布団に入っていた

寝付けなかった

そしたらなんとも言えない恐怖感に襲われた

最初は漠然とした怖さだったかもしれない

けれどそのあと決定的な理由があって

わたしは夜が怖くなったのだ

(その理由についてはまた後日)

 

わたしは急いで一階へ行き、父と母の寝室に行き「一緒に寝て欲しい」と頼んだ

母はいいよと言ってすぐに布団に入れてくれた

わたしは本当に安心した

 

翌日もその翌日も恐怖は襲ってきた

何回母の所へ行っただろうか、

2回だったか、5回だったか?

そのうち下へ降りて行くことを許されなくなった(経緯は忘れた)

泣くわたしに対して母は明らかに不機嫌で怒っていた

わたしは一人で恐怖感と闘った

しかしそれはますます強くなり、わたしは

声を上げて泣いた

父が様子を見に来て声をかけてくれたりしたが

「下においで」とは言われなかった

そのうち父は二階に何かを取りに来て、

わたしがまた泣いてるのを見ても何も言わずに

下は降りてしまった

おそらく母にそうしろと言われたのだと思う

 

わたしは絶望した

こんなに怖いのに

両親は下にいるのに

たった一人でこの怖さを耐えなくてはならないのか?

子どもだからそのうち寝てしまう

朝になったらもう全く怖くない

それでもまた夜が来る

 

ある日母は提案した

「お姉ちゃんの部屋で一緒に寝かせてもらったら?」

姉は母に言われたので仕方ないと言う感じ

そこで姉のベッドの横に布団を敷いて寝た

 

ところが

姉が寝てしまうとまた恐怖感が襲ってきた

どうにもならなかった

あまりに泣くので姉が眠れなくて母に

どうにかしてくれと頼んでいた

そしてまたわたしは自分の部屋に戻った

 

わたしは昔から姉と同室がよくて、

引っ越した時に念願の姉との二人部屋になったことがあったが、わたしが片付けが下手なので

姉から「別にして欲しい」と言われてしまった

 

その後も確か二段ベッドで寝ていた記憶もあるがそれがどれくらいの長さだったかは覚えていない

つまり両親もそれなりに考えてはいてくれたのだろう

しかしわたしにとって、あの時の恐怖感は

忘れられないのだ

あの時何度でも母の布団に入れて欲しかった

ベッドで泣いてるなら側に来て

「どうしたの?」と聞いて抱きしめて欲しかった

眠るまで手を握ってて欲しかった

「なんで泣くの?」と問われても

わたしにもわからないのだ

わたしは「なぜ泣くのか」と聞かれても

本当の理由が言えなかった

受け止めてもらえる自信がなかった

 

どれくらい期間が過ぎたのかわからないが

いつしかわたしは泣かなくなった

けれども寝付きは悪かったし

恐怖感はなくならなかったし

夜の暗闇は怖かった

それは大人になっても続いた

 

真っ暗にして眠れない

一人で眠るのが怖い

じーっと布団の中で丸くなってる時

遠くでトラックの走り去る音が聞こえると

「あ、今起きてる人もいるんだ」とほっとした

この世に一人ぼっちなんじゃないんだと安心した

 

わたしは今でも少し外の物音がしているくらいの方がよく眠れる

電気も豆球をつけて寝ている

抗不安剤と睡眠のお薬は手放せない

 

あの時安心して過ごすことができていたら

一人ぼっちじゃないと思えていたら

こんなにも恐怖を引きずらなかっただろう

 

わたしは息子とはずっと添い寝をしていた

毎晩絵本を読み、話をして抱きしめて

手を繋いで、彼が眠るまで側にいて背中を

とんとんした

それは息子にしていると同時に

過去のわたしにしているのだった

 

 

 

焦り

今は寛解に近い状態になり(身体的な症状は

あるけども)

精神的に安定し、調子がいい日は無理せずに

遊びに行ったり好きなことをしている

 

50歳を過ぎ、わたしはすごく焦っている

いつのまにかこんな歳になってしまった

歳とほんとの自分のバランスの悪さ

精神年齢が追いついていないし、

年相応の経験値が明らかに足りない

 

それは鬱が酷かった時、引きこもって

寝込んでたから、「生きている」という

実感が持てない空白の時間がたくさんあるから

 

みんながいろんな所に行ったり

人と会ったり働いたり経験したり

日々暮らして積み上げている間

わたしはただ鬱々と悶々と家にこもって

前にも後ろにもいけない状態で

何一つ積み重ねてこれなかったという思いが

あるのだ

病気をして学んだことやわかったことも

もちろんあるけれど、そういうことじゃなく

一年一年ちゃんと進んでこれなかった

30歳から50歳までの間、鬱だった10年分位は

空白だと感じてしまう

 

トンネルにいた年月

長過ぎた

もっと生き生きと過ごしたかった

今になって実年齢と精神年齢の差が大き過ぎて

苦しくなることがある

足りない

何かが圧倒的に欠けているような…

 

鬱になったことを今更悔やんでも仕方ないし

時間は巻き戻さないから、今とこれからを

充実させていけばいいじゃないかと

もう一人のわたしは思っている

そうだけど

そうなんだけど…

 

やりたいことを置き去りにしてしまって居ることや、

今もまだ思うようにはできないことに

非常に焦ってしまう

早くすっかり治ってしまいたい

動きたい

そんなことを思っている間にも時は進んでいく

考えてる場合ではない

しかし身体は思うようにまだ動かない

 

わたしは大人になっても夢があったし

やりたいこともたくさんあったし

なりたい自分像もあった

 

それがなかなか実現しないことが悲しい

まだ間に合う

まだこれから時間はある

そう言い聞かせて、そうだ、止まらなければ

心の中だけでもちゃんと動いていれば

まだこれからでも大丈夫

焦る気持ちをなんとか収めて

やっぱり思うように動けないことを

恨めしく思う

 

いつになったらわたしは心身共に健康に

なれるんだろうか

なりたい自分に近づけるのだろうか

焦っても何も解決しないのにね

過去に無理やり意味付けしなくてもいいけど

それでも無駄な時間だったとは思いたくない

過去があるから今がある

それがまだ腑に落ちないのかも

 

母について③

わたしが大人になってからの母との関係を

いくつか書いたが、時系列で子どもの頃からの

ことを順に書いてみる

 

わたしは母に甘えた記憶がない

大事に育ててもらったし、きっと愛情も

もらってたのはわかっているが、

ぎゅっとされたり「好きだよ」と言われたり

そういうスキンシップというものがなかった

ご飯は手作りのものが出てきて

習い事もさせてもらい、服も買ってもらい

お金に困った時期もあったのに、

教育もちゃんと受けさせてもらった

 

じゃあ何を不満に思うのか?贅沢な悩みと

思われるかもしれない

でも心の中は寂しかった

母はいつも父親の動向と自分自身の気持ちで

忙しそうだった

わたしがいい子にしてれば母はきっと助かるのだろうと幼い頃から思っていた

母を不機嫌にさせてはいけないと感じていた

 

わたしが寂しさを感じていたひとつが

物心ついた頃から一人部屋で大人用のベッドで

ひとりで寝かされていたことだった

多分3歳くらいからだった

母は二階にある子ども部屋まで来てくれるが

ベッドに入ると「おやすみ」と行って階段を

降りて行ってしまう

わたしはそれが寂しくて階段を降りる母に

何度も「おやすみ!」と言った

母が「はい、おやすみ」と返してくれると

嬉しくてまた「おやすみ」と言った

 

母が降りてしまうと暗い部屋にわたし一人だった

隣の部屋に姉はいたが、それはあまり救いにならなかった

わたしは寝つきの悪い子でなかなか眠れなくて

そっと目を開けると昼間見慣れてるはずの

いつもの部屋がなんだか違う空間のように感じてとても怖かった

目の前の洋服ダンスの扉が開くんじゃないかと

想像するだけで怖くてたまらなかった

 

姉はひとりでも平気な人だったが、わたしは

大きくなってもずっと夜が怖かった

本当は母や父と一緒に眠りたかった

せめて小学生になるまででも

 

そういえば寝るときに絵本を読んでもらったり

添い寝をしてもらった記憶もない

 

安心して眠る、ということを味わわずに育ったわたしは大人になってから不眠症になり、

夜ひとりで寝るのが苦手なままだった

 

母はべったりくっつくのが苦手なのだろう

もともと子どもは好きじゃなかったと聞いたことがある

それはもう仕方ない

けど、子どもにとっては仕方ないでは済まない

抱っこされたかったし、大好きだと言われたかったし、甘えたかった

愛情表現という意味で、わたしと母は相性が

悪かった、ということだろう

 

大事なこと

過去の自分を振り返ってみると

とにかく

自己肯定感が低い(自己否定ばかり)

自分に価値がないと思っている

他者評価で生きている

これに尽きる

だから人を信じられないし

いいことがあったら次は悪いことが起きると

信じていたし

何をするにも他人の目が気になっていた

 

一度鬱が完治したのに、また再発したのは

この課題の一つも解決しないままだったからだ

この3つを抱えていたら生きづらい

根本的な問題に気づいていなかった

 

そして今寛解までこられたのは

自己肯定感を高めることができ

自分はいるだけで価値があると思えていて

他人のことがあまり気にならなくなったから

だと断言できる

これはすごく大事なこと

生きてく上で必要なこと

 

仕事をしていなくても

お金を稼いでいなくても

家事ができなくても

太っていても

何かに打ち込むことができなくても

なーんにもできなくても

わたしは価値がある

 

そんなの、昔はとてもじゃないけど信じられなかった

夫は稼いでるのにわたしは何もできない

子どもにとって充分なことをしてやれない

ダメな妻でダメな母親だと思ってた

みんなはちゃんとやってるのに…

 

でもだんだんとそんな風に考えて生きてることに嫌気がさしてきた

こんなの嫌だ

どうにかしたい

どうしたらいい?

わたしの前へ進むための模索が始まった

 

誰のために

気づけば半年以上ブログを書いていなかった

ブログを始める前は書きたいことが頭の中に

いっぱいあって、あふれそうで

とにかく書きたくてたまらなかった

そしてその思いをある程度書けた時、

気持ちがなんだか落ち着いてしまった

まだ書こうと思っている内容はいくつかあるが

急いで書かなくてもいいかな、と思う

 

そうか

わたしは誰かに向けて書きたかったのではなくて、自分に向けて自分のために書きたかったのだなと気づいた

その上で誰かがここを見つけてくれて

読んでもらえたら、とても嬉しいなと

 

一番苦しかった頃のことを吐き出せたから

気持ちが落ち着いたのだ

これまで家族や親しい友達に病気のことを

話してきたけど、どこか全て正直には言えなかった

でも書く時は正直になれる

しんどかった

苦しかった

辛かった

…そう言いたかったんだ

 

ブログを始めて本当に良かった

誰にも読まれてなくても

(読んで欲しい気持ちはあるが)

あの辛かった日々をこうして整理できたのは

これからのわたしにとって必要だったと

心から思える

 

さて、またぼちぼちと書いてみようかな

躁鬱からどんな風にわたしが抜け出して

変わっていったかを