凜と生きる

私が経験した「鬱」というものについて

買っても買っても買っても

買い物依存はとにかく買いまくる

ネットでオークションにはまり、

お気に入りの店に通って服を買いまくる

カード払いは限度があることを知ってはいるが

その時はこれ以上買ったら返済が大変になるという意識は飛んでしまっている

それでも全くわからないわけではなくて、

こっちのカードは使い過ぎてるから、今日はあっちのカードにしようとか分割にしようとかの知恵は働くのだ

でも支払いが大変になることはわからなくなっている

現金もすぐなくなる

結婚前に貯めていたお金も使い果たした

そしたら銀行カードのキャッシングで限度額まで借りた

返せない、という意識はないのだ

合計ひと月で30万程の支払いになった頃

明細書を見た夫にわたしの散財がバレた

 

それはもうひどく叱られた

当然だろう  かなり夫は衝撃を受けていた

なぜこんなにお金を使ったのだ!

当たり前だ  普通はその反応になるだろう

わたしは叱られて初めて大変なことをしてしまったのだと認識した

結局夫がそのお金を返してくれた

わたしは後悔と自己嫌悪で躁から鬱になった

 

しかしわたしはそのあともう一度躁転して

また買い物依存になってしまうのだ

あんなに悔やんだのに、いけないこととわかっていたのに、躁転したらわからなくなる

2回目はオークションだったか?ネットショッピングだったか?よく覚えていないが

また同じくらいのお金を使ったと思う

そして同じように夫にバレて、またかなり叱られて結局夫が分割で借金を返してくれた

 

わたしがいけないことはわかっている

苦しいくらい後悔した

それでも

それでもわたしの性格がだらしなくて散財すると思われるのは嫌だった

こういうことをするのがわたしという人だと言われるのは辛い

 

こうなったのは病気の症状だから、

本当の自分はこんなことしないから

病気だからやってしまったんだね、

しんどかったよね、君のせいではないと

言われたかった

でも夫は「お前はこういうことをする人だ」

という解釈の上でわたしを叱った

夫は何も悪くはなかったけど、刺さるような夫の言葉にわたしはまた暗いトンネルの中に落ちていった

 

家の中には買い漁ったものが山ほどあった

わけがわからない状態だったけど、

いらないものは買ってなくて、ちゃんと欲しいものを買っていたのでそれらは捨てられることもなく今も我が家にある

 

この時の状態はどこか夢の中で起きたことのようで

自分の意思が働いているようでいないような、不思議な感じで記憶に残っている

悪いことをしたと当時散々自分を責めたけど

今は「あれは病気だった わたしは悪くない」と

思えるようになったし、夫には感謝している

 

躁転は人に迷惑をかけるし、誤解も産むし

取り返しのつかないことも起こり得るのだと

思う

躁転してる本人に自覚がないのが恐ろしい

鬱の時は自覚があるのに

結局双極性障害と言われてから10年経つが

躁転はこの2回だけだ