凜と生きる

私が経験した「鬱」というものについて

手首、見せて

鬱の症状は薬が有効だが、それだけでは治らない

わたしがこの病気になって向き合う点は

①わたしの生き方や思考の癖

②母との関係

③夫との関係

だった

それは薬や主治医との診察ではどうにもならない

なのでしばらくしてからカウンセリングを始めた

 

一人目のカウンセラーは形式通りに進める人だった

自分の心の奥の奥、見た目がどんなに変わっても、絶対変わらない芯の部分を絵で描いてみようとか、ロールプレイングで母にどうして欲しかったかを演じたりした

わたしは自分の心の中を花で現した

ピンク色で群れたりせず、細いけれど凛と咲いている、そんな花

その花は不思議と今もわたしの心の中に咲いている

 

ロールプレイングはどうも恥ずかしくて気持ちが集中できなかった

わたしには合わなかったかもしれない

それよりも自分の話を聞いて欲しかった

何か月か通った頃、カウンセラーが変わることになった

わたしはようやく心を開き始めた時だったのでがっがりした

カウンセリングで泣いたことはなくて「あなたは全然泣かないですね」と言われてたのに、交代を告げられた時だけ涙が出た

 

そして二人目のカウンセラーになった

この人はとにかくひたすら私の話を聞く人だった

カウンセリングの形式にはこだわらず、会話をした

わたしはこのカウンセラーとは合いそうだなと思った

そしてその通りでわたしたちは数年の付き合いになった

 

始めは二週間に一回、後に一か月に一回通った

始めたころは病院内(A医院)で受けていた為、費用がとても安かった

だから通えていた

ありがたかった

何が辛いか、どんな風にこれまで生きてきたか、何がうまくいかないのか・・・

なんでも話した

そして決してわたしを否定せず、決めつけたことは言わずにいてくれた

絶妙なアドバイス、わたしが自分で気付けるように話してくれるので

解決はすぐにできなくてもわたしはカウンセリングのあとは心が軽かった

一度完治してカウンセリングも卒業したが、再発してまた復活した

再発してから病院(B医院)を変わっていたのだけれどカウンセリングの為にまたその病院(A医院)に行った

そしたらそこの医師が月一でも診察を受けないとカウンセリングだけでは通院できないと言った

仕方ないので私は心療内科をふたつ掛け持ちになってしまった(A医院とB医院)

しかし幸か不幸かこの病院への通院はすぐに終わることになる

 

ある時の診察で(A医院)わたしが再発してから「双極性障害Ⅱ型」に診断が変わったと告げた(診断は主治医のいるB医院)

するとA医院の医師は「僕は心療内科医なので双極性障害はほんとは診れない」と言った

でもわたしがここでカウンセリングを受けたいと頼んだら、必ず月一通うことと

診られなくなることもある、自殺未遂のようなことは絶対しないこと、など言われた

そこまではいい

そこまでは納得できたのだけど、その医師は次にこう言った

「両方の手首を見せて」

は?と思った

この人はわたしが手首を切ってるか確かめたいんだ

そんなことしてないという話はしたのに全く信じてもらえないんだ

わたしは両手首を前に出しながら涙をこらえた

まるで丸裸を見られてるような気分だった

当時のわたしは酷く傷ついた

診察が終わってすぐに依存していた学校の先生に電話したのを覚えている

学校にかけたけど先生はいなくて泣きながら家に帰った

 

今ならわかる

その医師の言いたいことも、傷つかなくてもよかったことも

でも当時は悲しくてたまらなかったのだ

カウンセラーにこのことを話したら「それは酷いね」と理解をしてくれて

A医院に通わなくてもいいように、とカウンセラーの自宅で受けられるようにしてくれた

それはとてもありがたかった

費用も病院に通ってた時と同じか、もっと安いくらいだった

このカウンセラーがいてくれたことはとても幸いだった

おかげでわたしはまず母親を心の中で切り離すことができた

これはすごいことだった

夫との関係も客観的に見てくれる人と話すのはとても有効だった

「あなたはいつも自分の中にちゃんと答えを持っている」と言い続けてくれた

それは後にそうだったかもしれないなと理解し自信に繋がった

 

長い長い鬱生活でわたしは薬よりカウンセリングが自分には合ってたし必要だったなと感じる

 

もうわたしが自分で考えられるようになった頃、カウンセラーが遠くに引っ越すことになった

電話でもカウンセリングは続けられたが、わたしは「もう卒業していいな」と思えた

いつかご縁が続いてたらきっとまた会って今度は楽しく話せる日が来ると思ったから