凜と生きる

私が経験した「鬱」というものについて

焦り

今は寛解に近い状態になり(身体的な症状は

あるけども)

精神的に安定し、調子がいい日は無理せずに

遊びに行ったり好きなことをしている

 

50歳を過ぎ、わたしはすごく焦っている

いつのまにかこんな歳になってしまった

歳とほんとの自分のバランスの悪さ

精神年齢が追いついていないし、

年相応の経験値が明らかに足りない

 

それは鬱が酷かった時、引きこもって

寝込んでたから、「生きている」という

実感が持てない空白の時間がたくさんあるから

 

みんながいろんな所に行ったり

人と会ったり働いたり経験したり

日々暮らして積み上げている間

わたしはただ鬱々と悶々と家にこもって

前にも後ろにもいけない状態で

何一つ積み重ねてこれなかったという思いが

あるのだ

病気をして学んだことやわかったことも

もちろんあるけれど、そういうことじゃなく

一年一年ちゃんと進んでこれなかった

30歳から50歳までの間、鬱だった10年分位は

空白だと感じてしまう

 

トンネルにいた年月

長過ぎた

もっと生き生きと過ごしたかった

今になって実年齢と精神年齢の差が大き過ぎて

苦しくなることがある

足りない

何かが圧倒的に欠けているような…

 

鬱になったことを今更悔やんでも仕方ないし

時間は巻き戻さないから、今とこれからを

充実させていけばいいじゃないかと

もう一人のわたしは思っている

そうだけど

そうなんだけど…

 

やりたいことを置き去りにしてしまって居ることや、

今もまだ思うようにはできないことに

非常に焦ってしまう

早くすっかり治ってしまいたい

動きたい

そんなことを思っている間にも時は進んでいく

考えてる場合ではない

しかし身体は思うようにまだ動かない

 

わたしは大人になっても夢があったし

やりたいこともたくさんあったし

なりたい自分像もあった

 

それがなかなか実現しないことが悲しい

まだ間に合う

まだこれから時間はある

そう言い聞かせて、そうだ、止まらなければ

心の中だけでもちゃんと動いていれば

まだこれからでも大丈夫

焦る気持ちをなんとか収めて

やっぱり思うように動けないことを

恨めしく思う

 

いつになったらわたしは心身共に健康に

なれるんだろうか

なりたい自分に近づけるのだろうか

焦っても何も解決しないのにね

過去に無理やり意味付けしなくてもいいけど

それでも無駄な時間だったとは思いたくない

過去があるから今がある

それがまだ腑に落ちないのかも