凜と生きる

私が経験した「鬱」というものについて

思い出すと今も苦しくなる

カード払いの借金を夫に肩代わりしてもらったことが

心苦しくて心苦しくてたまらなかった

そしてわたしは最悪の体調のまま働いてお金を返そうと考えた

 

冷静になれば働けるような状態ではないとわかるのだが、わたしはただ寝てるのが申し訳なくて、罪悪感に押しつぶされそうだったのだ

近くの私立保育園に夕方からのパートに行くことに決めた

わたしがお金を返したいから働くと夫に言ったら

「じゃあ、そうしたら」と返事があった

わたしは本当は「そんな体で働かなくていいから」と

言って欲しかったのだと思う

でも夫の返事を「じゃあ働いて返して」とという風に解釈した

もう働くしかないと思い込んだ

 

わたしは乳児の保育が好きだったのと、少しでも走り回ったりしなくていいようにと考えて

面接の時0〜1歳児の保育を希望した

それならなんとかやれそうだった

しかし実際面接が通って通勤したら

担当クラスは年中と年長のクラスだった

その時点で目の前が真っ暗になる感じだったが

辞めときますとも言えずわたしの仕事は始まった

保育補助と室内の掃除、居残りクラスの手伝いがわたしの仕事

やんちゃな4〜5歳児に手を焼いた

自分にエネルギーがないと子どもと向き合えないものだ

そんなことわかっていたのに…

他のパートの先生たちは特に意地悪でもないのだけど、仲間に入れてくれることもない

前の無認可保育園の時と全く違っていて

わたしは全然馴染めなかった

中には話しかけたりしてくれる人もいたけど

わたしの方が余裕がなかったので、打ち解けることができなかった

 

保育室を掃除して終わったら園庭で遊ぶ子どもたちの安全を第一に守る為に気を張って

辺りを見回す

危ない時は飛んで言って声をかける

一瞬も気が抜けなかった

もう毎日クタクタだった

今思うとわたしには集中力がなくて、余裕もないからあんなに疲れたのだと思う

マイナスな気持ちで仕事に向き合うのは辛い

そんな気持ちだと余計にマイナスなことを引き寄せてしまう

わたしが見ている横で転んだり落ちたりする子がいるのも、そんな空気感だったからだろう

ものすごく気を張っていたから、大怪我する子はいなかったけど「なんで毎日大変なことが起きるんだろう…」と仕組みのわからなかったわたしは仕事中に笑えなくなっていった

 

保育園なのに、可愛い子どもたちのいる場所なのに…

わたしには辛いだけの場所になっていった

1ヶ月も経つ頃には毎日泣きながら通勤し、

仕事中に頭痛や腹痛になった

仕事中にお腹が痛くてトイレに走る

トイレの中で泣く

そしてまた仕事に戻る

わたしはきっと評価が低いに違いないと思い込み、保育士としての自信なんてかけらもなくなってしまった

辞めたい

それしか考えられなかった

でもたった1ヶ月で辞めるなんてあってはならないと思っていたので、必死で働いた

きっといつも暗い顔をしていたと思う

 

せっかく保育士の仕事が大好きだったのに、

もう嫌いになりそうだった

 

2ヶ月経とうとした頃、限界がきた

苦しくてたまらない

もう、辞めたい

わたしは夫にそれを伝えた

あっけなく「辞めていいやん」と言われた

カウンセラーも「もうじゅうぶんだから辞めていいんですよ」と言った

主治医も辞めたらいいと言った

 

え?わたし辞めてもいいの?と思った

途中で投げ出すことをほとんどしたことないので、しんどくて辞めるなんて悪いことだと思っていたから

結局仕事を始めるのも辞めてはいけないと思うのもわたしだけが思い込んでいたことだった

周りはそんな風に思ってなかった

 

そもそも働くのは無理だと思うと言ってくれていたのに、わたしが頑なだったからみんな仕方なく見守ってくれていたのだった

わたしは長くそのことに気づけなかった

 

主治医に「鬱状態」という診断書をかいてもらい(面接では鬱は隠していた)

園長に勇気を出して渡し、辞めたい旨を伝えた

結局2ヶ月と少しでわたしは大きな挫折感を抱いて保育園を後にした

 

働いたことで挫折感と罪悪感が大きく心の中を占め、

わたしは心身共に最悪の状態になった

 

今もこの時のことを思い浮かべると胸が苦しくなる

それは罪悪感や挫折感ではなく、何もわかってなくて、でも必死だった自分が孤独だったなぁと思うから

そんなにがんばらなくていいんだよ、と伝えてあげたくなるのだ

 

わたしはまた暗い深いトンネルの中で孤独に過ごす日々に戻った

 

今、元気になったらわたしはやっぱり保育士の仕事が大好きだと思える

そう思えてよかったな