凜と生きる

私が経験した「鬱」というものについて

最近のこと

最近のことをひとつ書こうと思う

 

勝手にやめていたお薬リーマス

また飲み始めた

夏から秋の始まりにかけてわたしの体調は

最悪だった

とにかく怠くて気持ちも塞ぐ

これは病気のせいというより

単に夏バテだったり更年期のせいだったり

するのだが、ほんとに参っていた

 

そしてふと「リーマスまた飲んでみよかな」と

思った

病気のせいじゃないと言いつつ薬を飲もうとするのはなんだか矛盾しているけれど、

わたしにとって少しでもプラスになるかもしれないことは全部やってみたかった

 

最近はわたしはもう病気の症状はないから

リーマスをやめていたし、飲まずにいられることが自分はもう元気なんだと思える材料に

なっていた

でもそれは逆に言えば病気を意識していることであり、大丈夫な自分かどうか不安があったのではないかと思う

 

そんなもの、どっちでもいいじゃないか

薬を飲んでようが、通院してようが、

今のわたしの生き方に何も変わりはない

薬を飲んでるわたしだって、なんにも変わらないんだよ

 

そう思った時、今不調ならばお薬を再開して

みてもいいかなと思った

そんなの大したことない

飲み続けてたら良くなるかもしれないし、

なーんにも変わらないかもしれない

どちらでもいいのだ

再び薬を増やしたことをマイナスと捉えない

 

薬をやめてます、と医師に言えないわたし

でも間違ってるかもだけど、体のサインを感じて薬を飲むか飲まないかを決めるのは

最終的に自分だと思っている

 

 

フレンチトースト

ふと、思い出した話

 

鬱の時は家事全般ができなくなる

私は料理は割と好きだったのに

ほとんどご飯が作れなくなった

コンビニ飯、インスタント食品

夫がいる日は外食

息子が学校で給食を食べてきてくれることが

本当にありがたかった

 

わたしはパンとかお菓子とかコンビニ弁当や

インスタント食品など体に良くないものを

交互に食べていた

 

ある時、なんのきっかけか全然記憶にないが

フレンチトーストにはまった

寝ても覚めてもそれしか欲しくない

安い食パンをたくさん買ってきた

あとは牛乳と卵と砂糖

わたしは元々フレンチトーストが大好きで

よく作ってはいたが、猛烈な鬱の時に

なぜあんなにも欲したのだろう

 

作るのは嫌なくせにフレンチトーストだけは朝から作る

ほぼ毎日三食フレンチトーストだった

おいしい、と感じていたのだろうか?

ただ他の物が受け付けなかったのか?

全くわけのわからないエピソードだが

多分一ヶ月以上はひたすらひたすら

フレンチトーストだけを食べ続けた

今流行りのふんわりした上等のじゃなく

コンビニで売ってる一番安い食パン

あれをジュージュー焼いてる時、

わたしは何を思っていたのだろう?

きっと「なんでこれしか食べたくないんだろう」と思い、「なんでこれなら作る気になるんだろう」と疑問だったろう

 

いつ、なんのきっかけでフレンチトーストを

やめたのかも全くまた覚えていないのだ

あれは、なんの時間だったのだろう

 

今でも大好きでたまに思い出して作ることがある

もちろんとても「美味しい」と感じる

でも明日も明後日も食べようとは思わない

 

鬱にはこんな不思議なことが他の人にも

あるのだろうか?

同じものばかり食べるってありえるかも…

誰かに聞いてみたい気もする

頭の中の音

時系列がちょっと無茶苦茶になりつつある

このブログ

行きつ戻りつしながら思いつくまま書いている

もっと最初に書く内容や順番を決めてから

始めればよかったーと悔やんだけど

もう今さら一から書く気にはならないので

このまま書いていく

 

薬の話はいくつか書いたが、

とても辛かったのは減薬と断薬だった

それもわたしにとってはある一種類の薬だけが

辛かった

それは鬱の時の不安時が強い時に出ていたもので、よく使われている薬だ

もうすこし弱い薬でいけそうになったので

その薬をやめていくことになった

1日何錠飲んでいたか、何年飲んでいたか

どれくらいの期間で断薬したか…

実ははっきり覚えてない

ただ断薬した時のあの音だけは忘れられない

 

「音」というのは、頭の中で時折

「シャンシャン」と鳴るのだ

これが本当にうるさい

24時間ずっとではないが、本当に不快だった

ネットで調べたら同じような症状で悩んでいる人はたくさんいた

耳鳴りとも違う、頭痛でもない

たくさんの大きな鈴がいっぺんに鳴るような、

としか表現がないのだけど

シャンシャンなってる時はどうしたって

治らないので、耐えるしかなかった

こうやって体の中から薬が抜けていくんだと

思うことで耐える

きっとこの音は消えていくはずだから

もう薬減らしたいんだもんね

 

何ヶ月くらい経ったか、

最強に鬱陶しかったシャンシャンの音が

鳴らなくなった

今でもあの音を思い出すと暗い気分になる

抗うつ剤や他の薬は短時間でやめても

なんともなかったのにな

あれだけはほんと、しんどかった

これもまた経験した者にしかわからない

多分誰にも話さなかったような気がする

 

辛い時は薬が必要だ

薬を必要以上に恐れることもない

でも何も考えずにたくさんの薬を何年も

飲んでいるときはたまにはふと立ち止まって

すべてが必要なものか考えた方がいい

時々医師によっては多めの薬を処方する人も

いるから

 

でも前にも書いたけど、自己治癒力というのか

自然と体がある一定の薬を飲むのを拒否し始める

もうこれはいらない、と

わたしはその感覚を大事にしている

今までその勘は外れてない

あのシャンシャンも辛かったけど、

あの時がやめ時だったと思っている

 

鬱が治ったと自分で思ってすぐに勝手に薬を

やめてしまうのは危険だけどね

薬の減らし時ややめ時って医師よりも

自分が一番よくわかってると思う

(※ただし、ちゃんと躁鬱から脱してから)

 

薬には効き目ももちろんあるけれど

必ず副作用もある

わたしは今は元気になったけど、この先

なんらかの副作用が出ないとも言えない

けどね、もう飲んじゃったからね

何年も、たくさんの量を

今さら焦って不安になっても仕方ない

大丈夫だろうというか

大丈夫なことにしよう!と自分で決めた

必要だった時期もあったから

それを否定したくないし

自分の自己治癒力をわたしはかなり信じている

 

これもまた一人一人違うから難しい

近況

ちょうど今日、診察日だったので

医師に聞いてみた

「わたしは寛解してますか?」と

そしたら寛解状態にあるらしい

(やはり完治は絶対ないと強調していた)

 

なぜ聞いてみたかというと、単純に知りたかったのもあるが、不思議な不調が続いているから

2年くらい前から舌がピリピリ痛いこと、

最近朝起きたら胸と背中がギュッと苦しくなること

それのどちらも医師は

「鬱の症状だと思う」と言う

 

ん?こんなに今は元気なのに?

特にストレスも悩みもないのに?

なんならここ何年かで一番元気なのに?

医師曰く、精神的にしんどい時はそれどころじゃなくて体の不調に気づかなくて、

気持ちが落ち着いたり、ゆったり過ごせるようになってから体の不調が出る人が多いとのこと

「わたしもそれですか?」と聞いたら

おそらく、とのこと

うーーん、あまり納得いかない

年齢的に更年期障害かもしれないので

それも聞いたら「そっちの場合もあるし、

両方かもしれない」だそうで

 

舌の痛みは歯医者と口腔外科で診てもらい

病変はなかった

胸のギュッとくるのは、このまま続くようなら

不安を取り除くために内科で心電図をとってもらうことになる

 

鬱の症状が体に出ることはもちろん知ってる

でも今さら?なのだ

わたしにしてみたら

寛解してる自覚もあるし

医師は「症状が出ても気にしないこと」と

言っていた

それはもっともだな、と思う

とりあえずは痛みや不快感はあるけど

「鬱のせいなのか?」とか考えずに

過ごしてみようと思う

 

年齢的にもいろいろ出てくる頃だし

気にし出したらキリがない

医師も薬を増やしたくないよねと言っていたし

 

「心身ともに健康です!」と言えることって

奇跡のようなことだな、と感じる

いつか笑顔でまたそう言えるようになりたい

病名って何?

鬱前半期→寛解→鬱後半期(ここで病名が

双極性障害二型に変わる)→現在、ほぼ寛解

医師は双極性障害に完治はないと言うので

寛解とは言われてない

ただ精神的な症状は何もなく、自分では

治ってると思っている

抗うつ剤はやめたが、気分安定剤は一生飲まなければならないらしい

 

なぜわたしが治ったと断言できるかは、

また書くとして…

一体病名ってなんだろうと思う

 

今の医師は前にわたしがかかっていた病院からの紹介状に「双極性障害二型」と書いてあったから、わたしはその病気だと思っている

そこからしてそんなんで判断していいのか?

と思う

あとはわたしが話したエピソードの内容で

やっぱり双極性障害だろうと思っているみたい

でもこの医師はわたしが躁転してるとこを

見ていない

すっかり鬱になってしまってから通院を始めたから

それでも迷いなく双極性障害の薬を出し、

「これを一生飲みなさい、この病気に完治はないから」と言い放つ

多分医学的には正解だ

そういう人もたくさんいるのだ

 

でもわたしは?

本当にわたしのことを診ていますか?

目の前のわたしは鬱病ではなく

双極性障害ですか?

薬で2回躁転したら、もう何年も躁転がなくてもわたしは一生この病名がついたままなの?

こんなに元気になっていても?

 

おそらく今の医師に状態を見て病名を告げられたのならまだ納得したと思う

でも見てないじゃん、躁転したとこ

 

病院に行くと病名がつく

病名がつくと薬が出る

 

それで救われる人もたくさんいる

わたしも最初に鬱になった時は

自分は病気なんだとわかってホッとした

 

でもいつまでもいつまでも病名を背負って

いかなければいけないのかな?

医学的ではなく、治っちゃったよ!ってことも

あっていいんじゃないかな?

病名なんて気にせず忘れて暮らした方がいいよって言ってもらえる方が救われることもあるんだけどな

 

ちなみにわたしを数年見てくれてじっくり

たくさんの話をしてきたカウンセラーは

わたしが躁鬱と診断名が変わったと言ったら

「カウンセラーが言ってはいけないことだけど

わたしはあなたが躁鬱だとは全然思えないわ」

と言った

わたし自身をちゃんと見てくれてた人に言われたからそうだよな、と感じた

 

確かに2回、わたしは躁転した

薬のせいで

躁状態ではあったけど、本当に

双極性障害二型に変わってしまったのか?

わたしは鬱病で、その経過で躁転という事があったという感覚だったから

その謎はいつも心にあった

しっくりこなかった

 

わたしは自分で病人であることを辞めたので

(これもまた詳しく書く)

生きやすくなった

気分安定剤もわたしの身体がどうしても欲しないのでその感覚を信じて長らく飲んでいない

飲んでませんと医師に言えないのはわたしの

気の弱いところ

飲んでなくても、体調に変化はない

これが正しい、のではなくて

わたしの場合の話

一人ずつ治り方は違うから

 

自分が病気だと思うことが必要な時期もある

でも病名に縛られない方がいいこともある

その違いは自分の身体や心が教えてくれる

必ず教えてくれる

とわたしは思っている

笑えない話

息子が学校で生活の授業で

「何日毎にお風呂に入るか?」の質問に

みんなが「毎日!」と答える中で息子は

「一週間に一度くらい」と答えた

 

「みんなにえええーーー!って驚かれたよ?」

と不思議そうに無邪気にわたしに報告してきた

わたしは恥ずかしさのあまり、何にも悪くない息子にきつく言ってしまった

「それは母さんがとてもしんどかった時だけでしょ!それも冬のことだったでしょ!」と

息子はわからないなりに、言っちゃいけないことを学校で言ってしまったんだと理解したようで、なんともバツの悪い顔をしていた

ごめん、

あなたは何も悪くない

母さんがお風呂を洗えなくて

入る気力がどうしてもなくて

あなたに自分で用意して入ることを教えることすら怠くて数日入らなかったことあったよね

それが息子には日常だったから、まさか

言ったら驚かれたり恥をかくとは思ってもみなかったんだよね

なのに母さんが不機嫌になってしまった…

かわいそうなことしたなぁ

 

他にも遠足のお弁当が簡単な物しか作れなかったり、サッカーの応援に行けなかったり

思い出すと今もちょっと胸が痛む

 

 

 

友達付き合い

話は1度目の鬱の頃に戻る

わたしには当時小学生の一人息子がいたので

いわゆる「ママ友」との付き合いもあった

どこかのグループに所属することはあえて

しなかったけど、それなりの付き合いというものがあった

 

当然自分の病気のことは隠していたから

たまのランチや飲み会のお誘いを

断ることもできず、参加していた

(今なら全然平気で断るのにな)

怠い体を引きずり、顔は笑って

頓服飲んで行き、楽しそうにしゃべる

なかには、楽しいお誘いもあって、

それは自分の意思で行っていた

朝からドリンク剤を飲んで気合を入れて

出かける

後半はもうしんどくなってるんだけど

「この辺で帰るわ」なんてとてもじゃないが

言えない

それになんか「普通の人」みたいに

出かけたりできている自分が嬉しかった

 

当然家に帰ったら倒れこむ

夕飯など作れるわけもない

お風呂も入らなかったことも多い

それでもわたしは一人でいるほどの

勇気はなく、それなりにママ友と付き合うことが当然のように思っていたし、

一人で堂々とできるほど強くなかった

何より人目を気にして他者評価で生きていた

わたしだったから

 

その点学生の頃の友達は気を使わなくていいし

なんなら病気のことも話してもいいし

楽チンだったのだけど、当時みんな子育てに

忙しくて会いたい時に会うのは難しかった

本当はわたしは気心が知れた友達に会いたかった

弱音も吐きたかったし、泣きたかった

頼りたかったし、元気付けて欲しかった

でもそれはできなかった

「しんどいよ」が言えなかった

 

唯一、連絡を割とマメにとっていた友達がいて

心配かけたことは書いたが、それでも

本当に辛い時は電話ができないものだった

 

元気に暮らしている友達が羨ましかった

何がこんなに違ってしまったのか、

どうしてわたしだけこんなに苦しいのか

惨めだった

本当はあの頃が一番、誰かを必要としていたのに、それができない

誰かと一緒にいても孤独だった

わたしの周りの人がみんな幸せそうに見えた