凜と生きる

私が経験した「鬱」というものについて

病名って何?

鬱前半期→寛解→鬱後半期(ここで病名が

双極性障害二型に変わる)→現在、ほぼ寛解

医師は双極性障害に完治はないと言うので

寛解とは言われてない

ただ精神的な症状は何もなく、自分では

治ってると思っている

抗うつ剤はやめたが、気分安定剤は一生飲まなければならないらしい

 

なぜわたしが治ったと断言できるかは、

また書くとして…

一体病名ってなんだろうと思う

 

今の医師は前にわたしがかかっていた病院からの紹介状に「双極性障害二型」と書いてあったから、わたしはその病気だと思っている

そこからしてそんなんで判断していいのか?

と思う

あとはわたしが話したエピソードの内容で

やっぱり双極性障害だろうと思っているみたい

でもこの医師はわたしが躁転してるとこを

見ていない

すっかり鬱になってしまってから通院を始めたから

それでも迷いなく双極性障害の薬を出し、

「これを一生飲みなさい、この病気に完治はないから」と言い放つ

多分医学的には正解だ

そういう人もたくさんいるのだ

 

でもわたしは?

本当にわたしのことを診ていますか?

目の前のわたしは鬱病ではなく

双極性障害ですか?

薬で2回躁転したら、もう何年も躁転がなくてもわたしは一生この病名がついたままなの?

こんなに元気になっていても?

 

おそらく今の医師に状態を見て病名を告げられたのならまだ納得したと思う

でも見てないじゃん、躁転したとこ

 

病院に行くと病名がつく

病名がつくと薬が出る

 

それで救われる人もたくさんいる

わたしも最初に鬱になった時は

自分は病気なんだとわかってホッとした

 

でもいつまでもいつまでも病名を背負って

いかなければいけないのかな?

医学的ではなく、治っちゃったよ!ってことも

あっていいんじゃないかな?

病名なんて気にせず忘れて暮らした方がいいよって言ってもらえる方が救われることもあるんだけどな

 

ちなみにわたしを数年見てくれてじっくり

たくさんの話をしてきたカウンセラーは

わたしが躁鬱と診断名が変わったと言ったら

「カウンセラーが言ってはいけないことだけど

わたしはあなたが躁鬱だとは全然思えないわ」

と言った

わたし自身をちゃんと見てくれてた人に言われたからそうだよな、と感じた

 

確かに2回、わたしは躁転した

薬のせいで

躁状態ではあったけど、本当に

双極性障害二型に変わってしまったのか?

わたしは鬱病で、その経過で躁転という事があったという感覚だったから

その謎はいつも心にあった

しっくりこなかった

 

わたしは自分で病人であることを辞めたので

(これもまた詳しく書く)

生きやすくなった

気分安定剤もわたしの身体がどうしても欲しないのでその感覚を信じて長らく飲んでいない

飲んでませんと医師に言えないのはわたしの

気の弱いところ

飲んでなくても、体調に変化はない

これが正しい、のではなくて

わたしの場合の話

一人ずつ治り方は違うから

 

自分が病気だと思うことが必要な時期もある

でも病名に縛られない方がいいこともある

その違いは自分の身体や心が教えてくれる

必ず教えてくれる

とわたしは思っている