凜と生きる

私が経験した「鬱」というものについて

マイナス思考のかたまり

主治医は躁から鬱に落ちた頃のわたしのことをよく覚えていて、いまだにその時のわたしの様子について話すことがある

「あなたはこちらが何をいっても『でも』『いや』と否定的なことしか言わなかった」

「すべて悪い方にしか受け取らなかった」

らしい…

そして今はそういうところが全くなくなったとも言う

 

わたしは自己評価がおそろしく低かった

そして自己評価より他者評価で生きていた

それは鬱になったからではなく、子どもの頃からそんな性格だった

だから鬱になったのだと思う

自分がどう思うかより、周りにどう思われてるかの方が優先だったしすべてだった

常に周りの顔色を伺って、どの人にも好かれたかった

自分が好きでない人からでさえ、好かれたかった

自己肯定感もやはり著しく低かった

どうせわたしなんて…

あの人みたいになりたい…

鬱になんかなったわたしなんてダメな人間だ

 

よくもまぁ、ここまで自分を嫌っていたものだ

自分を大事にするなんてことは全くできなかった

嫌で嫌でたまらない

苦しくて意識があることがもう辛い

でも死ねないから眠剤を多めに飲んでとにかく

眠った

眠ったらその間だけ何にも考えなくていいから

この頃のわたしは「数ヶ月間眠り続けたい、

目覚めた時病気が治ってたらいいのに」とか

「山の中の誰も知らないところへ行きたい、毎日お天気のことと食べるもののことだけ考えて生きたい」と本気で思っていた

意識があるのがとにかく苦痛なのだ

 

それでもわたしは母親だから、子どもを起こしてご飯食べさせて送り出し、帰ってきたらまたご飯食べさせて風呂を沸かし…

サッカーをしていたので土日は弁当を作ったりもしたし、もちろん洗濯物も多かったので洗濯はしていた

あの頃のわたしは息子に対してどんな顔を向けていたのだろう

息子は覚えているのかな?

息子は中学生だったので、わたしは初めて病名を伝えた

どんな状態なのかも簡単に話したと思う

それなりに理解はしてくれていた

思春期であまり親と話さなかった時期なので

それはかえって距離感を持ててよかったのかもしれない

 

大人になってから息子にわたしが病気だった時どう感じてたか聞いてみたら、小学生の時は

全然わたしが鬱だった感じはなくて「帰ってきたらいつも母さんがいてくれて嬉しかったしか覚えてへん」と言っていた

中学生の時は流石に具合い悪そうなのはわかっていたけど、それで辛かったり嫌だったりは特になかったと言う

男の子ってそんな感じなのかな?

 

でも息子に暗い影を落とさなかったことは

本当に本当にほっとした