凜と生きる

私が経験した「鬱」というものについて

流されていく

こうしてわたしは鬱になった

夫は鬱というものを知らなかったのもあるが

優しい言葉や労りの言葉を言う人ではなかった

わたしがますます鬱に流されていったのは

夫の無関心で冷たい態度にショックを受けたこともあった

きっと心配もしていただろうし、わからない不安もあったのだろうと今ならわかる

健全な精神で考えるとそれもわかるのだが

当時すっかり弱っていたわたしには相手の気持ちを推し量るような余裕など少しもなかった

どんどん孤独感を感じるようになっていた

 

小学生になった息子の学校の行事には行っていたし、行けばママ友と普通におしゃべりもしていた

そして家に帰ったらぐったり横になる感じだった

家事もどんどんできなくなっていった

夫は元々ほとんど家で食事をしないので、そこは助かったかもしれない

家事の中で一番一番できなくなったのは料理に関することで、作るのはもちろん買い物もできなくなっていった

スーパーに行っても何を買っていいのかわからなくなる

料理を思い浮かべても手順を思い出そうとしても頭が疲れてしまった思考停止になる

空っぽのカゴを持って店内をウロウロしているうちに疲弊してカゴを戻してスーパーを出る

結果家の前のコンビニでお弁当などを買うことが増えた

料理は鬱になってわかったのだが、とても頭を使う家事だと思う

材料を揃え、切って手順に従って作る

しかも三品くらいを同時に出来上がるようにしなければならないし、熱いものは熱いうちに食卓に出す

今まで普通にできていたことが神業のようにも思えた

食べることも作ることも好きだったわたしは料理ができなくなったのがとても辛かった

 

そして鬱が治った今でもまだ簡単な料理しかできない

買い物はできるようになったが、料理はハードルが高い

自分で作った料理の味が恋しい

 

子育てはあまり記憶にはないが、最初の1〜2年はそれなりにやっていたと思う

毎晩寝るときは本の読み聞かせをしていたし、

学校へ行っている間は寝ていたけど、帰ってきたら起きるようにしていた

ご飯は手抜きになったけど、まだ幼い息子はその変化にあまり気づいてなかったようだった

しかし、子育てにも限界がやってくる