凜と生きる

私が経験した「鬱」というものについて

心を切り刻む言葉

「10万なんてお金、家にはないよ」

これが死にそうで入院したいと懇願したわたしへの夫の返事だった

そんなはずはない

家の貯金には10万円はきっとあるはずだと知っている

だけど家のお金はすべて夫が管理していたからわたしは自分で出すことができない

夫はさらに言った

「じゃあ俺が仕事を二つ掛け持ちするか、親にお前が頭下げて頼むしかないな」

酷い

酷すぎる

だってどちらもわたしが首を縦にふらないってわかって言ってる

ただでさえ罪悪感いっぱいで生きているのに、入院の為に夫にもっと仕事を増やしてくれなんて絶対言えない

そしてわたしが母親を遠ざけてることも知っているはず

わたしが親に泣きつくなんてありえない

そして義母に頼める神経を持ってたらそもそもこんなに病んでない

 

結局夫は入院は「NO」なのだ

でもはっきり否定せずにわたしに選択を委ねる

無理だとわかりきってきる条件を出して

あの時わたしはぼんやりと

「この人はわたしが死んでもいいんだな、それよりも貯金の10万を出す方が嫌なんだ」と思った

それはとても悲しく、夫への失望だった

この人はぎりぎりになったわたしを助けてくれる人ではないんだ

少し経ってから「あの時なぜお金を出してくれなかったの?」と聞いたことがある

返事は「死ぬと思わなかったから」だった

これは聞きようによっては生きていると信じてたともとれるけど

わたしには「そんなに深刻に捉えてないし、考えてなかった」と聞こえた

よりわたしの失望は膨らみ孤独感が強くなっただけだった

 

夫は昔から言いたいことをはっきり言う

特にいいことではなく、わたしが不快に思うこと

病気になってもそれは変わらなくて、たくさん傷ついた

例えば

「一生鬱なん?」「病院行ってはよ鬱治してきて」

「薬中(ヤクチュウ)なん?」

「すぐなんでもしんどいって言えばいいからいいなぁ」

「なんでも病気のせいにするな」

「掃除できてへんのは病気やからじゃない」

...書いてみると大したことでもない気もするし、正論でもある

しかし夫はわたしが具合い悪い時に限ってこういうことを言うのだった

辛いと苦しむわたしに鞭打ってなんの得があったのだ

一番傍にいる人に寄り添ってもらえないことほど悲しいことはない

一緒に病気について知ろうとしたり、話し合ったりしたかった

しんどい時は「大丈夫?」と優しくされたかった

手を握ったりぎゅっと抱きしめて欲しかった

どんなわたしでも好きだと言われたかった

 

病気になって夫婦の絆が強まったという話はよく聞くが

わたしの場合はその反対になっていた

もちろん当時の夫の本当の気持ちはわからないが・・・

 

結局わたしの入院は無しになり、なにも変わることはないまま時間が過ぎていった