凜と生きる

私が経験した「鬱」というものについて

苦い思い出

短大の時、わたしはクラスで6人グループだった

その中の一人で、わたしがとても好きで憧れている人がいた

彼女は美人で明るくて字と絵がとても上手くて

誰からも好かれる人だった

わたしよりも何倍も保育士に向いていた

二回生の後半だったか、彼女は欠席する日が増えた

けれど学校に来た日はいつも通りだったのでそんなに心配していなかった

朝から夕方まで毎日授業はびっしりで課題も多かったからしんどいのかなぁくらいに思っていた

しかしある日彼女は学校を辞めると言った

詳しい事情を聞くこともできないまま彼女は

学校を去ってしまった

 

わたしは彼女とずっと友達でいたかったから、

時々電話をしたりして連絡を取っていた

会いたいねと話していたけどそれは卒業しても叶わなかった

それでも根気よく連絡していたら、やっと

会おうということになり、約束をした

わたしは久しぶりに会えるからワクワクしていた

いろんな話ができたらいいなぁと思った

 

しかし前日だったか、急にキャンセルの連絡が入った

わたしはすごくがっかりした

でもまたいつか会えると思った

そのあとは年賀状のやり取りを続けていた

毎年「今年は会いたいね」と書いていた

 

今ならわかる

彼女は単純に勉強が嫌で退学したのではないし、何か身体的に病気になったのでもなかったのだろうと

学校なのか、そのほかの理由なのかはわからないけど彼女は心が疲れてしまったのだ

精神的に病んでいたのだと思う

当時健康だったわたしは鬱はもちろん精神的な病気についてなんの知識もなかった

だからそんなことは全く思いもしなかった

だから連絡を取り続けた

友情の押し売りだった

 

彼女はきっと辛かった時に一緒にいた人たちには会いたくなかったに違いない

誰とも会えなかったのかもしれない

私たちが嫌いだったのでもないのだろう

それでもそんな事情が話せなくて辛かったと思う

好意で誘ってくれるのに、一度くらいは会わないとと思って会うを約束してくれたのだろう

でもその日が近づくと辛くなる

どうしてもしんどくなってしまう

そしてギリギリになって罪悪感いっぱいで

断ってきたんだろう

ああ、悪いことをしてしまった…

 

年賀状はお互い結婚しても送りあっていた

そのうちわたしが送ったら彼女から返ってくる、という風になった

それはわたしが送るのを辞めたら返事は来ないということだった

彼女の意思表示だったのだろう

彼女にとってわたしからの「会いたいね」の文字はしんどかったのではないだろうか

だけどわたしはなかなか諦められずに

その後も何年か送っていた

でもある時気付いたのだ

彼女は望んでないと

わたしは年賀状を送るのを辞めた

彼女からはもちろん送られて来なくなった

 

数年前ふと思い出してFacebookで彼女の名前を検索してみた

そしたら本人のページがすぐ見つかった

彼女のプロフィールの写真は出会った頃のように明るく花のような笑顔だった

よかった

幸せそうで

もうここから踏み込んではいけない

30年経った今なら笑って話せる気もするし

わたしも病んだからこそわかることもあるけど

こんな思いもやっぱり押し付けのような気がしてしまう

 

だから会うことはなくても幸せを願う

そんな友情もある