凜と生きる

私が経験した「鬱」というものについて

鬱の母を持つ息子

最初の鬱の時はまだ息子は小学一年生

わたしの病気のことはまだ理解できない年ごろだった

わたしは段々布団に横になる時間が増えてたし、明らかに元気がなくなって

ご飯もちゃんと作れなくなった

まだ小学校低学年の息子にほぼ毎日のようにマンションの向かいにあるコンビニに

夕食を買いに行かせていた

割と車の多い横断歩道を渡るから心配なんだけど、それでもわたしが自分で行くことができなかった

母親としては失格だったと言える

コンビニ弁当が続いても、息子は全然不満を言わなかった

当時のことを大きくなってから聞いてみたけど、母親が病気だったという記憶は

ないらしい

いつも学校から帰ったらお母さんは家にいてくれてた、と思ってたそうだ

よかった

 

 

彼が中学の時、わたしは再発した

さすがにもうわかるだろうと思ったのでちゃんと病名を言ってどんなものなのか説明した

どう理解したのかはわからないけど、しょっちゅう寝てたり、暗い顔の母親を

そのまま受け入れていた様子だったと思う

サッカー部だった息子の為に、試合がある日は弁当を作り、

朝練があったので朝早く起きて送り出す

洗濯物が山ほど出るので洗濯はする

調子のいい時は試合も観に行った

 

息子にとって悪い母親だから罪悪感があって、なんとかぎりぎり頑張った

ちょうど思春期で、少し反抗期もあったのか息子はあまりしゃべらなかったから

この時わたしのことをどんな風に見ていたか、ほんとのとこはわからない

多分親のことより自分のことで精一杯だったのかもしれない

 

高校生になったら一層母親と距離を置くようになったので、

わたしの様子はあまり気にしてないように見えた

わたしもしんどくて動けないのは仕方ないにしろ、泣いてる姿だけは見せまいと思っていた

高校はお弁当だったので、できるだけ作っていたけど、その中身は冷凍食品だらけだった

そして週の何日かは食堂で食べてもらうことにした

お弁当はいつも残さず食べていたし、なんの文句もなかったが

卒業してから実は冷食の野菜がまずかったこと、唯一わたしが作った玉子焼きが美味かったことを話してくれた

ごめん、言えなかったんだね、まずかったことは

 

大学に入ったらもう子育ての部分はほぼ終わっているし、逆に息子にわたしが頼ってた

買い物や洗濯や風呂掃除なんかをよく頼んでいた

彼は嫌がらずに何でも手伝ってくれて助かっていた

大学生になるとサークルや友達との付き合いなどで帰宅も遅くなるし、

帰ってこない日も増えた

それはそれで息子が自分の生活を楽しんでくれてて嬉しかった

 

わたしはきっと世の中のお母さんたちより母性が少なくて自己中だと思う

しんどいとか、ご飯作れないとか、ぼろぼろマイナスなことも話してしまう

ほんとはそういう面は隠すのが母親らしいのかもしれないけどわたしはできない

 

何年も薬飲んだり病院行ったり、体調が不安定なわたしをどう捉えていたのかな

少し良かったかな、と思うのは息子の中で「鬱病」というのが特別なものでなく

偏見もなく育ったことだ

多分精神的に弱い人に寄り添える人になると思う

そして息子自身、神経質な面もあるが基本一晩寝たら立ち直るというとこが

父親に似たので、そこはわたしみたいにはならないなと思うので安心だ

 

鬱病でありながら子育てするのは容易ではない

何度もわたしなんかが母親で申し訳ないと思ってきた

でも、わたしがぎりぎりに追い詰められて、生きることをあきらめかけた時

わたしを踏みとどませたのは、息子の存在だった

他のことは切ってしまえても息子だけは大切だった

絶対に自殺した親を持つ子にはしたくなかった

だからどんなに辛くても生きていようと思うのだ

息子は傷つけたくなかったから

それは夫に対してはそこまで思えなかったこと

てことは、わたしにも母性があるのかな

 

いてくれてありがとう

わたしを生かし続けてくれてありがとう