凜と生きる

私が経験した「鬱」というものについて

自分が思っているより

鬱が酷い頃わたしは孤独だった

実際は違ったのだけど、そう思い込んでいた

だから誰もわたしの苦しみはわからないと思っていたし、わかろうともしないだろうと

決めつけていた

わたしがどんな状態でもみんなの生活は滞りなく過ぎていくし、笑ったり出かけたり

充実した毎日を送っているんだろうなぁとぼんやりと思っていた

 

わたしは友人にほっとかれてたわけでもなく、心配されてないわけでもなかった

ほとんど会ったり話したりする余裕のない日々だったが時折り友人がメールをくれた

普段人と話すことがあまりなかったから、気を許してた友人にたくさん苦しい気持ちを吐き出していた

相手がその話を聞いてどんなに心配になるか、不安になるかなんて思いを馳せられなかった

こんなに自分は苦しいのだ、でもどうしようもないのだと悲観的なことばかり言っていた

ある時ろくに食べてないと言う話を聞いた友人がわざわざ料理の作り置きをたくさん持って家まで

電車を乗り継いで来てくれた

それをわたしに渡すと「ちゃんと食べや」と言ってすぐに帰って行った

びっくりした

わたしの為なんかにそんなことしてくれるなんて

わたし、すごい心配されてたんだ

何を書いても否定的な言葉しか返してこないわたしにどうしたらいいか、きっと困っただろう

何をしてやればいいのか、悩んだだろう

後になって「本当に死んじゃうんじゃないか、とても心配だった」と言っていた

彼女だけじゃなく、きっと当時のわたしを知ってる人はわたしを心配してくれていたのだろうな

 

それに気付けなかった当時のわたし

病気だったから仕方なかった

今はとても感謝している

彼女が困ったときは今度はわたしが駆けつける

 

そして友人だけじゃなくて、家族も自分が思っているよりずっと

わたしのことを心配して見守ってくれていたんだと今ならわかる

 

鬱になると気持ちが孤独になってしまう

自分で追い詰めてしまう

だからわたしはどこかでひとりぼっちで泣いている鬱の人がいたら

傍に行って「一人じゃないよ」と肩を抱いてあげたい

真っ暗なトンネルの中にいるのは自分一人かもしれないけど

そのトンネルのすぐ横であなたが出てくるのを待ってる人がいるよ

見えないけどいるんだよ