凜と生きる

私が経験した「鬱」というものについて

刺す言葉

わたしが鬱になった頃は

まだこの病気が今ほど認知されてなくて

精神科とか精神の病気とかって

偏見もいっぱいあった

それは知識がないだけで、罪はなく

わからないからいろんなことを言う

 

わたしもいろいろ言われたな

夫に

「一生鬱なの?」

「病院行って鬱治してきて」

(そんなん、すぐには無理なのに)

「薬中(ヤク中)」

「おまえは何でもしんどいって言えば

いいからいいよな」

「いつ治るの?」

「できないことを病気のせいって言うな」

母に

「鬱の人って自分のことばかり考えてるのね

ナルシストやね」

「鬱で太ったならそういう(太った人)専門の(夜の)店で働いたら?」

友達に

抗うつ剤とか抗不安剤とか眠剤を飲んでたら

若いうちに認知症みたいになるよ」

「そんな精神科の薬なんか飲んだらダメ」

「そんなマイナスなこと言うのは間違ってる」

「大嫌い」「友達やめる」

 

 

思いやっての言葉もあるし、

悪気のない言葉もある

わかってる

でも当時病んでたわたしには刺さった

どの言葉も傷ついたし不安になった

わたしはそんなこと言われないといけないような人間なのか?

ただひとつの病気になっただけなのに、

なんでいろいろ言われなきゃいけないのか?

ほかの病気だったらこんなこと言われないのに

精神科だというだけで、

人に言えなかったり、

言っても理解されなかったり

家族にすらわかってもらえない

 

理不尽な病だと思った

病人なのになんで自分が悪いかのような

気分にならなきゃいけないのだろう

 

治るものも治らないような気分だった

周りが敵ばかりのような感覚だった

 

でも今はわかる

ただ知らないからだけだったこと

傷つく必要はなかったこと

 

けど今更、傷ついた、酷いこと言われたと

言って回っても仕方ない

誰も悪くないのだから

(世の中には悪意を持って酷いこと言う人も

いるけど)

 

今は思い出しても嫌な気分にはならない

夫もわたしがいつまでもしんどそうなのを見て

辛かっただろうし、母はただ何にもわかっていなかっただけ

友達もそれぞれ心配してくれていたし

鬱の知識がなかっただけ

そういうことだ

 

鬱の時はきっとセンサーが敏感になっていて

マイナスの言葉は残さず拾って傷つく

大丈夫と言われても「そんなことない」と

否定し、肯定的なのことを受け入れなかった

どこか自ら傷ついていたようなとこがあった

でもそんなわたしが悪いわけでもなかった

 

言葉は人を救うし、反対に傷つける

それは受け取り方によっても違う

そしてもちろん、マイナスな言葉だけでなく

温かい言葉もたくさんもらった

当時はうまく受け取れなかったりもしたけど

 

今はネットやテレビでよく鬱の特集をしているのを見る

世の中の認知もされてきたと感じる

精神科も心療内科と呼ぶとなんとなく

悪いイメージがないように見えるんだろう

 

それでも、それでも

どの時代でも鬱の人は苦しんでいる

今もなおそれは同じだ

胸が痛む