凜と生きる

私が経験した「鬱」というものについて

そもそも

わたしが鬱になった原因は

「自分は価値のない人間」だと思っていたこと

自己否定し続け、人を羨み、うまくいかないことは全て自分が悪いと決めつけていた

 

そういうわたしに辛いことや、しんどいことが

起きた時、全て自分のせいだと思ってたら

そりゃ病むよな…と今はわかる

でも自己肯定感の低さは、長く長くわたしの中にあって、「自分はいるだけで価値がある」と

いうことがどうしても腑に落ちなかった

 

こんな弱いのに

こんな情けないのに

こんな何にもできないのに

欠点ならいくつでも挙げられた

でも良い所は全然わからなかった

鬱になったのすら、自分の弱さだと責めていた

 

結局、周りで起こる出来事を解決するより

わたしの内面を変えることしか病気を治す

道はなかった

言い換えれば自分さえ変われば周りの問題だと思っていた出来事がなんの問題もないと気づく

 

それまでにわたしは長い時間がかかった

もったいないなぁと強く思うほどの時間を

わたしは悩み続けていたのだ

周りの人が働いたり遊んだり笑ったり

何かを見つけたり充実した毎日を送っている間

わたしはただひたすら暗く悲観的に苦しく

生きてるだけだった

 

その時間は無駄ではなかった、と今思う一方で

やはりあの年月の間、もしわたしが健康だったらどんな人生を送れただろう、

やりたかったことができていたかもしれない

今もっと充実していたかもしれない

と思ってしまうこともある

 

でも当時のわたしに、ほかに道があっただろうか?

自分が嫌いで価値なんかないと思っていて

そこにいろんな問題が起きた時、

どんな解決法がほかにあったのだろう

病む以外に

 

変えられない過去を振り返って悔やんでも

なんにもならない

それなら前を見ろと思う

でも時々、病まなかった自分の人生を考えてしまうこともある

病気を「過去のもの」と思えてるってことだから、まあいいか…

 

自分に存在価値があるとか、

生きてるだけでいいんだとか、

そんなこと誰も教えてくれなかった

みんなはどうしてそれがわかってるんだろう?

なぜ同じように悩んだり迷ったりせず

問題が起きても乗り越えていけるのか?

落ち込んでもちゃんとある程度の期間で立ち直れるのはなぜだろう?

わたしはわかるまで何十年もかかってしまったよ

 

きっとわたしには鬱になりやすい資質があったんだろうと思う

それは弱いとかダメとかじゃなく、

たまたまそういう風に生まれてきた

ヘタしたら一生鬱でいたかもしれない

だから今、病人をやめられてよかった

 

自分の力と意思で治ろうと決めたわたしは

弱くなんてないのかな、と思う