凜と生きる

私が経験した「鬱」というものについて

薬に飲まれる

鬱になりたての頃は薬を飲むのを躊躇して

減らしたり飲まなかったりしたが

あまりに苦しくてしんどかったので

わたしは段々と薬に頼るようになった

「薬を飲んで治す」

これは全く間違っていない

ただそれは決められた飲み方を守るという前提があってこそ

 

わたしは苦しい時、とにかく意識があることが辛かった

意識があるとずっとマイナスな考えに囚われて

未来に希望は持てないし、明日さえもくるのが怖かった

頭を休めたかった

それには意識を失うしかない

でも不眠で眠れない

少しずつ抗不安剤を飲む量が増える

眠剤も倍量飲んだりする

昼間でも飲んでしまう

 

幸いわたしは死ぬ気は全くなかった

ただ深く眠りたかった

できれば数ヶ月くらい眠り続けて目覚めたら

病気がなくなってくれれば、なんてことを

本気で願った

この瞬間意識を失いたい!

ざわつくのを止めたい!

 

おそらく救急車騒ぎにはならないギリギリの量を守って飲む

飲み過ぎなのは明らかで、頭が重くなって

フラフラする

不眠と過眠を繰り返す

最悪だった

でも言葉にもできない鬱の辛さをごまかすには

薬を飲むしかなかったのだ

なんともいえない気持ち悪さ

でも心の辛さを体の辛さに変えてしまった方がまだましだった

薬を飲み過ぎるのはもちろん身体に悪いし

なんらかの後遺症が出る恐れもある

それでもわたしは泣きながら薬をひとつ、

またひとつ口に入れる

そんなことをする自分に絶望する

明るい未来なんてくるのだろうか

わたしは一生このままかもしれない

 

それはやはり自殺未遂に近かったかもと

今になると思う

一番辛い頃は「死にたい」とは思わないけど

「生きたい」という意志もなかったから

もうなにもかも消したかった

自分のことなんてもうどうでもよかった

こんな自分いらない、と本気で思っていた

ただただ眠り続けたかったから

そのあと誰かが悲しむとか、そんなことも

全然思わなかった

本当に病んでいたのだと思う

今は当時本気で心配してくれた人がいたことがわかるし、その人たちに心配かけ、迷惑かけていたこともわかる

本当に申し訳なく思う

でもあの頃はそれがどうしてもわからなかったのだ

その苦しみはわたしにしかわからない

 

少しましな日にはよくこんなことを思った

「どこか遠い森の奥にあるサナトリウムのような所で明日のお天気と何を食べるかだけを考えて暮らしたい」

 

 

一向に治らないので抗うつ剤を何種類も試したし、眠剤も強いものに変わっていった

もちろん薬を過剰に飲んでることは秘密だ

いつしか病院に行って薬をもらうとほっとするようになった

少し調子がいい日は飲まないで溜めておく

そうやって少しずつ眠剤抗不安剤を密かに

溜め込んでいき、どうしても辛い時に飲む

最大で1シートをいっぺんに飲むくらいになっていた

眠剤はさすがに怖くて飲んでも3〜5錠くらいだったと思う

 

薬は鬱には必要だけど、毒にもなる

鬱の人の多くは薬との付き合い方で悩むと思う

本当は向精神薬はやめたいのに

本当は抗うつ剤眠剤も減らしたいのに…

でも結局自ら過剰摂取してしまう

本当は鬱が酷い時は家族に薬を管理してもらうのがいいのだろう

でもわたしは隠し持っている薬が増えていくことで気持ちが落ち着いた

悲しいけどそんな毎日だった

 

かなり症状が落ち着いてもわたしは溜め込んだ薬を捨てられなかった

いつでも飲める

そう思えることで気持ちが落ち着くから

もう必要ないとわかっていても捨てられない

 

一番きつくて副作用も強い薬、もう処方してもらえない薬を捨てられた時

やっと鬱を手放せたなと思った