凜と生きる

私が経験した「鬱」というものについて

お薬について

鬱病というと世間では精神科のお薬をたんまり飲んでるイメージがあるかもしれない それはおおかた当たっている わたしは一番初めは抗不安剤や安定剤といったものと軽い眠剤だった でもあれよあれよという間に抗うつ剤が処方された そしてこの抗うつ剤、自分…

自分が思っているより

鬱が酷い頃わたしは孤独だった 実際は違ったのだけど、そう思い込んでいた だから誰もわたしの苦しみはわからないと思っていたし、わかろうともしないだろうと 決めつけていた わたしがどんな状態でもみんなの生活は滞りなく過ぎていくし、笑ったり出かけた…

母について②

先日愛犬が亡くなってしばらくしてから 母の家に夫とご飯を食べに行った 回転寿司を食べてから母の家に寄り、愛犬の ことを話した 母は「へえー!へえー!それはかわいそうに!」と言っていた 悲しみが伝わったというよりニュースを聞いたような感じだった …

余談

今年(2018年)に入って ブログをマメに更新できずにいる 時々書いてはいるけど 年始にきつい胃腸炎になったこと その時失神して転倒したこと 婦人科検診で引っかかり結果待ちなこと そして、愛犬が月末に亡くなったこと あまりにいろんなことが続けて重なっ…

苦い思い出

短大の時、わたしはクラスで6人グループだった その中の一人で、わたしがとても好きで憧れている人がいた 彼女は美人で明るくて字と絵がとても上手くて 誰からも好かれる人だった わたしよりも何倍も保育士に向いていた 二回生の後半だったか、彼女は欠席す…

あきらめ

遠いぼんやりとした、けれどしっかりと覚えている感覚 わたしは「死ぬ」ことが怖い だからどんなに苦しくてもわたしは自分が 死を選ぶことはないと思っていた 今すぐ意識をなくしたいとか、 数ヶ月眠り続けたいとか、 遠いところに行きたいとか、 そんなこと…

鬱の母を持つ息子

最初の鬱の時はまだ息子は小学一年生 わたしの病気のことはまだ理解できない年ごろだった わたしは段々布団に横になる時間が増えてたし、明らかに元気がなくなって ご飯もちゃんと作れなくなった まだ小学校低学年の息子にほぼ毎日のようにマンションの向か…

たった一人

元気になった今となっては当時の夫がなぜ あんな酷い言葉を言っていたかわかる 夫が悪人で非道な人でないこともわかる けれど病気の時はそんなのわからない わからなくて仕方ないと思う 人の冷たさの裏の意味もわからないし 人の優しさもわからなかった いや…

心を切り刻む言葉

「10万なんてお金、家にはないよ」 これが死にそうで入院したいと懇願したわたしへの夫の返事だった そんなはずはない 家の貯金には10万円はきっとあるはずだと知っている だけど家のお金はすべて夫が管理していたからわたしは自分で出すことができない 夫は…

逃げ道

鬱を再発してから2回の躁転を経験した その後の鬱が多分一番酷かった 薬を過剰に飲むことが増えていた頃 最初の鬱の時もたしかにしんどかったが さすがに20年前の記憶は薄れていて 覚えているのは10年前の再発後のことになってしまう わたしは「森の中サナト…

薬に飲まれる

鬱になりたての頃は薬を飲むのを躊躇して 減らしたり飲まなかったりしたが あまりに苦しくてしんどかったので わたしは段々と薬に頼るようになった 「薬を飲んで治す」 これは全く間違っていない ただそれは決められた飲み方を守るという前提があってこそ わ…

話したい、話せない

カウンセラーと依存した学校の先生以外、身内や友人には悩みを相談しなかったのか? 病気になったばかりの頃はわたしは誰にも鬱のことを話さなかった 親や姉にも黙っていた 当時学生の頃からの友人たちはちょうど子育て真っ最中だったので、それほど密には …

手首、見せて

鬱の症状は薬が有効だが、それだけでは治らない わたしがこの病気になって向き合う点は ①わたしの生き方や思考の癖 ②母との関係 ③夫との関係 だった それは薬や主治医との診察ではどうにもならない なのでしばらくしてからカウンセリングを始めた 一人目のカ…

依存

元々わたしは依存体質だと思う 買い物依存にもなったし、 夫と結婚したのもある種の依存だった (結婚についてはまた詳しく書くつもり) 息子の担任の先生がとてもいい先生で 家庭訪問の時からわたしの体調を知ってとても心配して話を聴いてくれた ひとつ年…

マイナス思考のかたまり

主治医は躁から鬱に落ちた頃のわたしのことをよく覚えていて、いまだにその時のわたしの様子について話すことがある 「あなたはこちらが何をいっても『でも』『いや』と否定的なことしか言わなかった」 「すべて悪い方にしか受け取らなかった」 らしい… そし…

思い出すと今も苦しくなる

カード払いの借金を夫に肩代わりしてもらったことが 心苦しくて心苦しくてたまらなかった そしてわたしは最悪の体調のまま働いてお金を返そうと考えた 冷静になれば働けるような状態ではないとわかるのだが、わたしはただ寝てるのが申し訳なくて、罪悪感に押…

さまよう

薬によって双極性障害になったので わたしは先生に対して不信感を持った もちろん無理やり薬を増やされたわけではないし、先生もよく考えて処方してくれていたことはわかっている でも違う先生に診てもらいたいという気持ちが強くなったので病院探しを始めた…

買っても買っても買っても

買い物依存はとにかく買いまくる ネットでオークションにはまり、 お気に入りの店に通って服を買いまくる カード払いは限度があることを知ってはいるが その時はこれ以上買ったら返済が大変になるという意識は飛んでしまっている それでも全くわからないわけ…

新しい病名

抗うつ剤がなかなか効かないのでいろんな種類を最低量から2週間ごとに増やしていく、というのを何ヶ月か繰り返していたら、わたしは 躁転してしまった 抗うつ剤による躁転 わたしはその時「鬱病」から「双極性障害」 に病名が変わった 鬱病と違って双極性障…

みるみるうちに

鬱が治るのには何年もかかったのに、 鬱に戻るのはあっという間だった するするとすべるように具合いが悪くなった 息子が中二の時に再発した このころの記憶が定かではなくて、計算上では 再発は息子が中三の時になるが、 頭の中の記憶では中二の頃には調子…

ああ落ちていくよ

わたしはいわゆるママ友との付き合いが苦手だった でも子どもを通しての付き合いだから辞めるわけにもいかず、特にグループに属することもなく周りのママ友とそれなりの付き合いをしていた (今ならママ友の付き合いが嫌ならしなくてもいいとわかるのだけど…

元気になってわかったこと

わたしは元気だった4年間、仕事そのもの以外にもたくさん楽しいことがあった まずは自分でお金を稼げる幸せ 「母親」「妻」「主婦」以外の、「私」である 居場所ができたことは、思っていたより格段に嬉しかった そして同僚との飲み会 夜に家族を置いて出か…

思うようにいかないな

働いて4年目を過ぎる頃から 仕事がしんどくなってきた 当時わたしは完全に「他者評価」で生きていたから、 ほかの職員や園長や保護者の目が 気になって仕方なかった 自分なりに精一杯やっていればそれでいいのに、 わたしは周りからどう見えてるのか、保育士…

働く!働く!働く!

しんどい頃は起きるのも嫌だったのに、 完治してから「働きたい」という気持ちが 自然に湧き上がってきた わたしは結婚前、保育士をしていた 自分の子どもを自分で育てたかったから ずっと専業主婦で、病気になったから仕事なんて全然 考えていなかった でも…

新しい家族

週末に家族で買い物に行ってたところには ペットショップがあった わたしはそこで犬を見るのが楽しみだった 犬を見てると癒された 束の間の幸せな時間だったので毎週毎週通った 家を買ったから犬を飼いたかった 息子も欲しがった 夫は犬が好きではなかったの…

そして失業保険暮らしへ

結果的には、引っ越しはわたしにとって 良かったのかもしれない そのあと見事に病気が完治したから 家を買ってすぐ夫は仕事を辞めた 辞めることに反対はしなかったけど、 次の転職先を決めずに辞めたので不安でたまらなかった 夫は失業保険暮らしの無職にな…

忙しく、楽しく、しんどい

中古の家を買ったのでリフォームをした それはそれは忙しい日々だった 週末毎にあちこちでかけ、平日はプランを考え… 思い返してみてもあの体調でよくやったなと 思う どんな精神状態だったんだろう 「ああ、しんどい」とよく呟いてた気がする しんどいのに…

うれしい、しんどい

夫は転職を決めた そして辞める前に家を購入することになった わたしはずっとマイホームに憧れていたから 本当に嬉しかったけど、家探しをするのは 体力的にとてもしんどかった 気になる物件を2人で探し、内見に行くのは わたしの仕事だった 何件も何件も見…

安堵と寂しさと

いつまで続くのかと思う日々も 必ず終わりは来る 夫は少しずつ錯乱もなくなり落ち着いていった わたしは毎日面会時間は病室で過ごした テレビを観たり、なんてことない会話をしたり 夫が忙しく働いている頃には考えられないくらい平和でのんびりした時間だっ…

一生忘れない

息子を病院に連れて来たはいいが、夜が明けてこのまま一日病院で過ごさせるのは嫌だなぁと思っていた 夫の言動をこれ以上見せたくなかった わたしの鬱のことを話していた数少ない友人が この状態を知って息子を預かると言ってくれた 友人は運転できないので…